俳優Mahoと、日頃から美・健・攻に努める10人の仲間たちのNYサバイバル生活。New York based actor Maho Honda's official blog!


by zhensui-maho
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カテゴリ:母校のみなさまへ( 7 )

☆ epilogue

 長文に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。いやはや、こんなに長く真剣に書いたのは卒論以来でしょうか…。

 わたしは教育学部を出たのに、自分より若い世代に何が残せるかとか、日本にどういう教育が今必要とされているのかとか、そういうだいじなことを考えることなく卒業してしまいました。お恥ずかしいことですわ。

 最後になりましたが、今後とも、母校の生徒のみなさんと、それを支えてくださる親御さん・先生方の、元気で明るい未来を心よりお祈り申し上げます。そして、いろいろと考える貴重な機会を与えてくださった関係者のみなさまに心よりお礼を申し上げます。本当にどうもありがとうございました。

 私の大切な母校が、これからも名前のとおり、愛のあふれるすばらしい学校でありますように。

 あぁ、なんだか、母校の先生、バレー部だったみんな、クラスのみんな、そして大好きなんて言葉ではくくれない大切な家族に、ますます会いたくなってきました。

2009年7月14日  卒業生 本田真穂

(終わり)

4日間連続企画
母校のみなさまへ prologue
vol.1 自分の「好き」をだいじにすること
vol.2 「好奇心」をだいじにすること
vol.3 周りの人をだいじにすること
vol.4 生徒のみなさまへ
母校のみなさまへ epilogue
     
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あのとき中学3年生だったみなさま、遅ればせながら、ご卒業おめでとうございます。桜がきれいに咲いた春でしたね。またどこかでお会いできるのを楽しみにしてマホ☆
I hope you all enjoy your life to the fullest !!!

b0186354_0183881.jpgこちら、ドーナッツピーチというベーグル的な萌えシェイプの桃です。今日はせっかくなのでいつもよりも余計に買ってみましたが、ここまで積むのに1時間以上かかりました。

 こんな風に、いつもと変わらぬ幸せな誕生日を過ごしましたとさ。めでたし。

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by zhensui-maho | 2009-07-17 00:22 | 母校のみなさまへ
☆生徒のみなさまへ

 あのとき3年生だったみなさんはもう卒業してしまいましたね。とにかく、みなさんとお会いできて本当にうれしかったです。あの日の前後で10年前の気持ちまでたくさん思い出しましたよ。

 そもそも中学時代の私は、コドモでもオトナでもない今の立場は損だから、はやくオトナ側にいきたいと思っていました。オトナになれば身体も心も強くてきれいで完璧になれると信じていました。

 当時は自分の欠点や弱さを認めたくなかったので、人からの悪口にも過敏にも反応しました。そのおかげで、小学5年生くらいからクラスに表れだす思春期の女子独特のなわばり争い・グループ行動に調子を合わせてみては、なぜか用もないのに休み時間のたびにみんなに合わせてトイレに行ったりもしていました。

 しかしながら、そんなに何回も行っても出るものはない。鏡の前でひたすらリップクリームをぬりぬりして口紅型に斜めに減らすのを楽しんだり、顔の脂をひたすらとってみたり。

 それもこれも、誰かと一緒じゃないと、自分の居場所がなくなるような気がしたからです。

 しかし、この「連れション」も、なにかのきっかけに、中2くらいを境にぜーんぶ面倒くさくなって放棄しちゃいました。こうしてひとりでいる時間ができると、クラスのあまり話さない子とも話せる機会が増えて、また違った発見がありました。そういえば、今も一番よく会う中3のときから親友みずきは、もともと部活もグループも違いました。

 わたしは、オトナと自分との間には分厚い壁があると思っていました。何にも言わなくてもわかってほしいという甘えがあった一方、何を言っても所詮無駄だろうと初めっからあきらめているところもありました。
 
 しかしながら、みなさんの歳の頃に思い描いていたすっかりオトナなはずの24歳に比べて、恥ずかしながら今のわたしのなんてコドモじみていることでしょう…。あぁ。

 もしみなさんの中にわたしと同じように考えている人がいるなら、周りにいる大人たちは、みなさんが思っているほど遠い存在ではないかもしれませんよ。

 少し先を歩いているだけ。自分たちより優れているのは人間の質じゃなくて、長く生きている分の経験の多さと、そこから自分なりに得た彼らの考え方、ただそれだけ。

 そう思うと、もうちょっと大人が身近な気がしませんか?
 
 たしかに世間にはいい大人ばかりでなく、しょうもないのもたっくさんいるからよく目を凝らさないといけませんが、きっとみなさんの周りには、素敵な大人たちがたくさんいるはずです。

 ちょっと耳をかたむけてみましょう。毎日シャワーのように浴びせられる無責任な情報や決まりきった指示にうんざりしていたとしても、本当にみなさんのことを思って、ちゃんと自分の意見としてなにかを言ってくれる人たちの言葉はちゃんとわかるはずです。

 みなさんにヒントをくれる先輩方は、きっと身近にいます。 せっかくだから、学べるところは学び、盗めるところは盗み、より大きく・美しく花開くための栄養をもらいましょう。

 さらに、みなさんと会うことでわたしが多くのことを今回考えられたのは、あとに生まれた人たちと関わることでもたくさんのことを得られるという良い例です。本当にどうもありがとうございました。

 年上でも年下でも、男でも女でもゲイでも、宗教や文化や育った環境が違っても…、とにかくどんな人とでもよい交友関係が広がれば、それだけ影響を受けて豊かになれるチャンスが増えるということです。

 そして、なにかを好きになれたのなら、自分を制限しないでとことん挑戦していって欲しいと思います。

 何歳になっても、いろんな方向にスタートが切れます。私たちにはきっと、新しいことを知る楽しみと、それを吸収して成長できる無限の可能性が、生きている限りたくさん与えられているのだと思います。

 ただ、冒険のしやすさで言えば、まだ大人社会の利害関係とは無縁で、世間の風当たりも強くない学生のうち、まだまだ経験が少なく、心も身体も可能性たっぷりの若いうちですよ!みなさんは、今がチャンスです。

 自分ならではの興味がおもむくままに、心のドアを広く開けて、何にでも積極的に食いついていってみてください。自分の交際範囲や年齢の限界は、わたしたち自身が決めていいのです。

 学校は、まだ思いっきりありのままの 「自分」 でいて許される場所であってほしいと心から思います。
 
 年をとるたびに自分が欠点だらけなことを思い知ってきました。でもそうした中で無理やりでも自分とちゃんと向き合うようになってからは、自分のことも、そして周りのことも、前よりも大切にできるようになったと思います。そうして、人からも、着々と増えていく自分の経験からもたくさんのことを学べましたし、これからもそのつもり満々で行きたいと思っています。 

 そしてわたし自身も、将来は周りになにかいい影響を与えられるような人間になりたいと思っています。

 「未来の自分に期待していた、あの10年前の真穂をがっかりさせたくないぞ。」と、生徒のみなさんのきれいな瞳にかつての自分を重ねて、より気合が入った次第です。

 生徒のみなさん、自分の気持ちに正直に、感性を豊かに育てていきましょう。そして、糸のつながりあった大切な人たちを幸せにできる、やさしい人間に成長していきましょう。
 
 これが、10年分だけ長く生きられたわたしが、生徒のみなさんにいま伝えられるメッセージ。


(epilogueへつづく)


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 UCLA夏の留学プログラムが終わったときに、みんなとはぐれてやってきたひとりラスベガス。かなりのエキサイティングな旅行になったのですが、なぜかこの写真を撮った夜だけは、ひとりで知らない街にいることの寂しさ感じました。たくさんの中でひとりぼっちのときのほうが、孤独を強く感じるのかもしれません。

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 ブラジル・イグアスの滝にて。のけぞって自分撮りですが、なかなか衝撃と感動をうまく表せてるんじゃないでしょうか。。。ほらほら、きれいな虹も写ってますよ。


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 今年の1月に、ナスカとマチュピチュいっちゃう?といきなり決まったペルー旅行にて。予算が極安ゆえ、スケジュールは無理やり&トラブルもたくさん発生。珍しく年頃の女ふたり旅だったはずなのに、ノリはど根性体育会系でした。色気まったくなし。そのうちtravelカテゴリーでUPしようと思います。

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by zhensui-maho | 2009-07-17 00:11 | 母校のみなさまへ
☆ 周りの人をだいじにすること

 今でも、中学で同じクラスや部活だった友達と会う機会は多いです。ここまで付き合いが長いと、ソウルフレンドと呼んでよいでしょう。久しぶりに会うと、みんな変わってないなぁと思うと同時に、自分も当時に引き戻されるような感覚が新鮮です。

 でも、外見・内面ともに確実に歳をとっているんですよね。生徒のみなさんにお会いして、この10年という時間の重みを実感しました。

 自分というのは、もの心がついたときからずっと同じ顔・身体・声で「自分」として大きくなってきましたが、小、中、高と変化するステージにともなって、外の世界の付き合う人たちは変わります。自分の人生に区切りを与えてくれるのは、外の世界の変化です。過去に出会った人たちは、自分がその時代を生きたという動かぬ証拠なのです。

 わたしは人と会ったり、話をしたりするのが好きです。しかし、みなさんの年齢から現在までの10年間で、もう会いたくないと思う人がいることだけはとても残念です。
 
 ただ、わたしが本当に会いたくないのはその人たちなのではなく、きっとその当時の、嫌いだったわたし自身なのだと思います。そう、当時のわたしが、自分にうそをついていたり、楽な方に逃げていたり、周りへの感謝をいっさい忘れた自己中女になっていたことを、今のわたしは知っているから。同じように、家族や親戚ならまだしも、いったん亀裂を意識してしまった他人との関係をフォローするのは非常に難しいということも。

 地球に約67億もいる人間のうち、ひとりと出会えて仲良くなれる確率を考えたことがありますか?

 同じ民族の集まった日本にいても、それは天文学的な数字です。「縁」って不思議です。好きになれた人を、だいじにしてたはずの人を、将来会いたくない人にしてしまうなんて、人と自分とを近づけたせっかくの「縁」を無駄にしてしまうとても悲しいことです。
 
 もう誰ともそんな関係には陥りたくありません。友達であれ恋人であれ仕事仲間であれ、一瞬でも真剣に心を通わせた人とは、いつでも正面から向き合い、いつまでも笑顔で会える自分でいたい、いつまでも彼らの幸せを心から願い、一緒に喜びあえる自分でいたい、と心から思います。

 大学1年のとき、高校時代の友達が亡くなりました。自殺でした。うつ病が悪化してとのことでしたが、いつも一緒にいたあの子が自ら命を絶ったということに、大きなショックをうけました。いつも周りに気を配り、みんなを後ろからそっと支えてくれるような、笑顔が魅力的な優しい子でした。

 自殺を知った瞬間は、不思議と涙は出ませんでした。

 人間関係はいくつも糸が重なってできたネットのようだと思います。その糸とは、ひとりから何本も伸びていて、人と人とを結びつけています。

 彼女の突然の死によって、みんなから伸びて彼女とつながってた糸はすべて、無理やり引きちぎられることとなりました。それらは、目標を見失ったまま、永遠に宙をさまよい続けることとなるのです。残された私たちは、つながる先を失った切れっぱなしの糸を引きずりながら、むりやり歩いていかなければなりません。

 彼女のお葬式では、それまでは知ることがなかった彼女の親戚の方々や、中学や地元の友達など、彼女を通した向こうに糸がつながっていた人たちの悲しい涙がそこかしこにあふれていました。
 
 あんなに胸が押しつぶされそうな場所は初めてでした。

 実は、わたしは最近まで彼女のお墓参りに行けませんでした。それは、あのとき彼女の自殺を受け入れられなかったからです。

 当時はちょうど仕事を始めた頃で、学校との両立やプレッシャーとの戦いのために自分の中で必死にバランスをとっていた時期だったので、もし受け入れてしまったら、精神的にまいってしまって自分自身にも同じことが起きるかもしれないという恐怖がありました。

 また、楽しかった高校生活にぽっかりと穴が空いたような気がして、それを確認するのが怖かったのです。お葬式にきていたようなたくさんの人たちにそんな悲しみを背負わせた彼女に対する怒りも感じていました。

 それと同時に、ずっと親しかったはずの自分が、彼女のことを何ひとつとして理解していなかったことに対してやりきれない怒りを感じ、また深く後悔し、自分が許せませんでした。彼女と一緒にいた当時のわたしのことを嫌いになってしまったということなのかもしれません。

 そして何より、彼女のお母さまに会うことができませんでした。自分のお腹を痛めて生まれてきた子供が、自ら死を選ぶほど苦しみ、そしてあれだけ多くの人の心を傷つけたことへの責任から、いつまでも自分を罰し続けるのではないかと思うと、いたたまれなかったのです。
 
 それらの思いに決着がついたのは、高校同級生の男の子の結婚祝いパーティの幹事をしたときでした。
 
 花婿は人気者だったのでたくさんの高校時代の仲間が集まり、同窓会としてもとても楽しいものになりました。彼は亡くなった彼女と2年間同じクラスでしたから、集めた同級生の中には彼女のお葬式以来に会えた友達もいました。あのときのような涙はなく、キラキラした笑顔だけが並んでいました。

 「そうだった。お葬式のとき、大好きなみんなと卒業式以来ひさしぶりの再会なのに、こんなに悲しい場所はいやだ、今度は絶対みんな笑顔で集まれる場所で会いたいと、そう思ったんだっけ。」

 彼の結婚を祝う気持ちの裏で、わたしも救われたと思えた日でした。このパーティで、振り返るのが怖かった高校時代のネットで、つながりあえた糸の先のたくさんの笑顔を確認することができました。

 彼女が自分で死を選んだことは絶対に間違っていたと思うので、弁護するつもりは一生ありません。ただ、こうしてわたしは、ひとりのだいじな友達の死を受け入れることができました。ついに彼女のことも自分のことも開放することができました。

 パーティの次の日は、ただただ彼女を失った悲しみと周りの人たちへの感謝の気持ちがあらためて込みあげてきて、涙が止まりませんでした。仕事じゃなかったからよかったものの、そのときは表参道までの千代田線電車の中でもしゃくりあげっぱなしでした。

 彼女の死を知ったあの日に自分が壊れないようにかたくかたく閉じた感情の扉が、一気に開かれた瞬間だったのでしょう。

 この日を経て、わたしは考えました。もしかしたら、あのときお母さまに会いたくなかったのは、大好きな彼女を否定されるかもしれないと考えるのが怖かったからかもしれません。

 育て方が悪かったのかもしれないとか、あの子は何のために生まれてきたのだろうか、生まなければよかったのだろうか、などということを彼女にとって一番身近な母親が考えていたらと思うと、胸が痛くてどうしようもなかった。まだあのときの私は、お母さまが考えているかもしれないと恐れたその問いに、返せるだけの確かな答えを持ちあわせてはいなかったのです。

 しかし、今ならお母さまにはっきりと自分の気持ちを言うことができます。彼女が生まれてきてくれたことは、わたしにとって確かな意味がありました。彼女と出会えて、心からよかったと思っています。一緒に楽しく過ごせた時間はもちろん、欠けてしまった高校生活の痛みも、そしてそれによって気づかせてくれたすべてのことも、ぜんぶ、本当に全部をひっくるめて、大きな意味がありました。

 人にはそれぞれ、その人が存在するだけで幸せになれる誰かがいる、と小説で読んだ記憶があります。ひとりの人に代わりはいないのです。

 出会った人たちが自分が生きてきた過去の証拠だということは、逆の見方をすれば、自分もまた、その出会った人たちにとって、過去のステージの一部となり、生きた証となっているということです。自分がいなくなると、その人たちの過去が欠けてしまうのです。
 
 わたしの人間関係のネットには、大好きな彼女がいるはずのところにぽっかり穴が空いています。10年後も、20年後も、ずっと。そして、それは親、親戚、友達、先生など、かつて彼女と糸がつながっていたすべての人の過去にも、同じように言えることなのです。

 彼女から、自分自身と周りの人を大切にすることを、そして、なにがあっても、どんなときでも歩き続けなきゃいけないことを、教えてもらったような気がします。

 わたしはあなたのぶんまで、前を向いて生きていきます。

(vol.4へつづく)

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 高校時代からの親友・よしみと行った沖縄にて。足腰の限界まで歩きたおし、胃袋の限界まで食べたおし、体力の限界まで遊びたおし、腹筋の限界まで笑いたおしたクレイジーな旅行でした。あれはよしみとしかできないんじゃないだろうか。

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 4年前、留学先のUCLAからツアーに行ったサンフランシスコにて。仲良くなった日本人のみんなと。みんな同世代。サンフランシスコは、なんとなくヨーロッパ情緒を感じさせるくたびれ方がおしゃれな街という印象でした。たしか10時間以上の長距離バスで行ったので、へんな筋肉痛が。

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 岡ちゃん、つばちゃんご結婚ほんとにおめでとう。

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by zhensui-maho | 2009-07-16 00:24 | 母校のみなさまへ
☆ 「好奇心」をだいじにすること

 日本は豊かな国です。

 親や社会から守ってもらえるうちはその流れに乗ってさえいれば、だいたいの場合は小学校、中学校、高校と、安全に進んでいけるという素晴らしいシステムが整っています。

 しかし、親や社会が決めてくれた理想の型があるからこそ、その型にはまった考えしか受け入れられない保守的な面も備えています。「変わっているね」という会話を日本ほど頻繁に耳にする国は、なかなかないんじゃないかとよく思います。

 「触らぬ神に崇りなし・出る杭は打たれる」などのことわざにも反映される「和」をだいじにする心は、日本を特徴づける性格のひとつだと思います。

 ここで、ちょっと考えてみてください。その豊かな日本の環境は、自分の頭で考えるチャンスを奪ってしまう危険も含んでいるのではないでしょうか。

 小学校・中学校までは、わたし自身、教科書に載っていることや先生方が言ったことなど、与えられる情報すべてに対して受身だったような気がします。大人の代表である先生は、私の中では完璧な存在だったのです。

 また、基本的に感情を言葉にするのが苦手だったので、何かあってもみんなと違うことを言いたくなかったし、もちろん大人に対しては子供ながらもこちらの発言権の弱さをわかっていたので、極力無駄な争いはしないでおく、というある意味冷めた省エネ気質の子供でした。自己表現をすることにあまり価値を感じていなかったともいえます。
 
 中学・高校の勉強に取り組む姿勢も、大学受験までは、ひとりで満足感と優越感を味わうために結果が目に見えるテストだけ集中する、というものでした。やるべきとされたことを淡々とこなしていく感覚でした。

 私の好き度合いによって、それぞれの先生や使う教材の好みに大きなむらがでていましたが、とにかくテスト直前だけは頭をフル回転して片っ端から丸暗記漬け。それによる睡眠不足のせいで、いつも栄養ドリンクを片手に登校するおじさん化した女子高生でした。

 ところが、そんな受身の姿勢ががらりと変わる出会いがありました。塾で出会ったひとりの歴史の先生が、「好奇心」という新しい目を開いてくれたのです。

ちょっとメタボが心配な立派なお腹にサスペンダー。
顔の1/3はあろうかという特大黒縁めがねといつもニコニコの細い目。
飛んだり跳ねたりしながら招き猫風の手さばきで進められるめちゃくちゃ濃ゆい授業。

 この強烈にかわいい個性をお持ちのW先生は、当たり前だと思っていたことに新しい角度から光をあてることを教えてくれました。
 
 教科書には、残された資料をもとに表舞台として編纂した「歴史」の物語が載っているにすぎないというお話をきいたときのことです。そのために、みんなが学ぶ「世界史」は文字や絵画などの文化が発達した中国やヨーロッパを中心に語られるのです。真実は当時を生きた人のみぞ知る、です。
 
 このとき、ややこしいだけでつまらない小説と同じ位置づけだった「歴史」が、急に血の通ったものになりました。「歴史」の中に息づく、当時を懸命に生きて後々に語り継がれるほどの何かをした人たちと、その資料をひとつひとつ研究して編纂した学者さんたちの視点が、わたしにも少しだけ感じられるようになったのです。

 例えば、中国4000年の歴史に名を連ねた偉人の名前をみてみましょう。生徒のみなさんは高校でもっと詳しく教わることと思いますので、予習のつもりでついてきてくださいね。

 歴代、国を治めた皇帝たちは、生前の功績をもとに死後に名前を贈られます。この名前を「諡(おくりな)」といいます。この諡が、皇帝の名前として私たちにおなじみの歴史の中に登場するわけです。時代の繁栄を担い、後の世の中国の人々から功績を認められた皇帝は、それをたたえる意味で「永楽帝」「乾隆帝」などと、見るからにポジティブな漢字が並ぶ諡になります。

 諡のことを教わってからすごく気になったのは、じゃあ異民族の名前は?ということ。
 
 そもそもプライドの高い中華民族は、『中華思想』のもとに東夷、西戒、南蛮、北狄などと中国をとり囲む東西南北の異民族や外国人をすっかりなめきっていた長い歴史があります。

 たとえば北方民族・金を率いた人物・完顔阿骨打。自民族にとっては中国進出の素晴らしい功績を残した英雄でしょうが、中国側にとっては憎き野蛮な侵略者。

 完顔阿骨打という名前は、ある意味かんかんに怒ったチャイナの文化人からの悪口です。顔の骨全部打ち壊してやるぜ、という感じ?物騒すぎてとても印象に残り(でも一度もテストにでなかった!覚えやすいからでしょうか。)、見かけるたびにその背景に思いをはせずにはいられないのでした。

 そして、その中国史を専門分野とするW先生が言ってくれた、忘れられない言葉をもうひとつ。

「私の考えは偏っています(さすがに中国専門だけに、左寄りに!)。ですから、ひとつの偏った考えとして受け止めて、それをもとにご自分の意見の軸をつくり、大事にしてくださいね。」

……教養があるってなんてかっこいいんだろう!

 当時のわたしは、目からうろこがぼろぼろと落ちる音が聞こえるかのような思いでした。間違いなく、高校生活三年間の中で、一番印象に残った言葉です。

 「正しい」とされている答えを上から一方通行で教えるのではなく、わたしと同じ目線で、偏っていると認めたうえで自分の考えを語ってくれた親以外の身近な大人はW先生が初めてでした。とても潔くてかっこいいと思いました。

 おかげで、当たり前だと思っていたことでも、実は一方的だったり、誰かが得をするように都合よく仕組まれていたり、という可能性があるかもしれないという新しい視点を持つことができました。この先生は、誰かに押し付けられたものさしで物事を測るのではなく、自分のものさしをもつことが大切なんだと気づかせてくれました。W先生の授業はいつも、知的で、楽しく、とてもやさしいものでした。

 もっとたくさんのことを知りたい。自分のものさしを持ち、それをより確かなものに磨き続けたい。どうせこのまま流れにのって受験をするのだったら、せっかくだから難しいとされている大学に入れば、なにかもっと面白いことが待っているに違いない!

 こうして私は、受験勉強にはまったのでした。

 知識があるのは「かっこいい」。この「かっこいい」という言葉が、枠からちょっとだけはみ出したい年頃真っ盛りのわたしにとって、どれほど魅力的に響いたことでしょう。しかし、次第にその「かっこよくなりたい」という憧れは、「好奇心を満たしたい」という具体的な動機に発展していきました。

 勉強に対して、「好奇心」という、満足感や優越感に勝る動機ができたとなれば、なんだかブランドのように憧れていた志望校は、ただのチャレンジの目安という位置でしかなくなりました。どこの大学に入ったとしても、満足感は後からついてくることでしょう。

 ところで、こうして情熱を燃やす目標ができると、それまでこだわっていた服装やメイクなどの「ちょっとだけはみだす楽しみ」なんて、もうおもしろいほどどうでもよくなってしまいました。

 ひざ上20cmのスカートはひざ下にまで伸ばされ、茶色い焼きそばパーマ頭もオーガニック黒髪ひとつ縛りになり、マスカラで毎日ひじきのようにたくわえていた自慢のまつ毛のこだわりも捨て、冬には顔が隠れる大きなマスクを毎日着用。みるみる模範生のような格好に戻っていきました。

 勉強に集中するために、手間・寒さ・痴漢への危険の3つは徹底的に排除しなければいけませんでした。ついでにお金も節約できるなら最高です。

 ちなみに、栄養ドリンクは相変わらず愛飲していましたが、テスト前のみでなくしだいに増えて1日に1本になっていました。もしかして、たくさん飲みすぎると効かなくなったりするのかもしれません。

 そもそも、どうして校則違反はあんなに楽しかったのでしょう。

 思春期は、周りからの目が妙に気になったり、新たに芽生えた自我をもてあましたりします。中学からすでに少しずつ気づいてはいましたが、高校生の頃のわたしは、 「かわいくいたい(外見をよくみせたい)」「かっこよくいたい(周りから憧れられたい)」という関心がピークでした。毎月雑誌をみては、ひたすらかわいいものをチェックチェック。

 校則違反をすることで、「イケてるみんなと同じわたし」と、「学校のみんなとは違うわたし」に酔っていたかったのだと思います。

 しかしながら本人の意向のみでなく、この「かわいい至上主義」は、日本全体で一緒になって盛り上げてたふしがあります。当時はジョシコーセーブームのまっ盛りで、もはや社会現象だったと言ってよいでしょう。女子高生たちが、流行を生み出す立派なマーケティング層として大きく認識された時期だったといえます。

 需要があれば、商品やサービスを売るビジネスが成り立つのが資本主義にっぽん。もはや女子中高生も立派なターゲットです。しかし、ここでひとつ心配なのは、商品の宣伝にとどまらず、その需要自体を生み出す価値観を無意識に押し付けられているのではないかということです。
 
 例えば、
 
「女子高生はイケてなきゃだめ。そして、イケてる女子高生=ガリガリに細いギャル系。」

 という価値観がみんなに浸透すれば、そこに目をつけた10代半ばの女の子のためのダイエット商品やヤング化粧品、ギャルファッションの業界が大きなビジネスに成長します。

 その大元たちの中には、さらにビジネスを活性化させるために、その「ギャル系じゃなきゃイケてない」「ガリガリじゃなきゃかわいくない」という価値観を浸透させること自体にお金を投資し、対象となる女の子たちを必要以上に焦らせて消費に走らせようとするところもでてくるでしょう。

 もう十分に便利で、望めばなんでも手に入る豊かな日本です。新たに商品を売ってビジネスを成立させるためには、もはや、今の時点で人々が必要としている小さな小さな需要を探そうとするのではなく、むしろなんとかして新しい需要を作り出そうとする方に、必死にならなくてはいけないのかもしれません。

 ビジネスの大元は、みんなでグルになって流行を生み出そうとしてきます。街には女子高生へのメッセージが、雑誌、広告、テレビなどいたるところにあふれています。そうして爆発的に流行ったのが、ルーズソックスであり(私は断然紺ハイソ派!)、だぼだぼカーディガンであり、茶髪に目頭白アイラインの化粧といった、国際的にも有名な「日本のジョシコーセー」の特徴的な要素だったのです。

 その流行を本人たちが楽しんでいるうちはよいのです。わたしも十分に楽しみました。ただ、ひとつ心に留めておきたいのは、これらの情報や価値観の目的はあくまでお金がらみであり、中学生、高校生たちを守り、よりよく育てようとする類のものではないということです。

 押し付けられた価値観にたいするものさしがないと、消費者は、その流れに組み込まれていることにさえ気づかぬまま、逆に資本主義社会に消費されていくのです。

 もともと消費者の需要に対する善意から始まったサービスや商品もたくさんあります。ただ、必要以上にいろんなメッセージがあふれている社会にいることを意識し、本当に今何が必要なのかということををあらためて考えてみると、それぞれ気づくことがあるかもしれません。

 情報化社会と呼ばれる今、あふれる価値観や情報を取捨選択する責任は、私たち自身が負っています。若い世代は、どれが自分にとって本当に必要な情報なのかを自分の頭で考える力を、できるだけ早い時期に養わなければいけないと思います。

 ただ、自分の頭で考えるのに慣れておらず、物事を判断する確固としたものさしがまだ自身の中にない中学生・高校生の時期に、それらを吟味し選別するのは難しいと思います。それを助けてあげられるのは、親や教師といった、彼らの周りの身近な生身の大人たちしかいません。発信者の見えない無責任なメッセージはもうたくさんです。
 
 まことに恩知らずで申し訳ありませんが、当時の私にとっては校則も、よくわからないまま周りに氾濫しているメッセージのひとつに過ぎませんでした。

 先生たちの顔色をうかがいながら服装検査のときだけ意識する校則が、そもそも私たちをさまざまな危険から守り、勉強に集中できる環境にもっていってくれるためのものだったとは考えてもみなかったのです。それ以前に、わたしは勉強自体の重要性を理解していなかったのです。というより、理解しようとしなかったのですね。

 わたしにとっての大学受験は、自分で人生を「選択」する初めての機会だったのだと思います。流れに乗ってさえいればなんとなく「正しく」ステップアップしていけた時代はそこで終わりました。初めて、今まで当たり前のようにおんぶしてもらっていた親や社会に深く感謝することができました。

 そこからは、答えが誰かに用意されていない自分だけの道を歩いていく覚悟をしなければなりませんでした。特に、大学生と同時に社会人になったわたしは、自分が発する言葉や行動のひとつひとつに、はじめて責任を持たなければいけませんでした。

 自分の道を進むというのは、簡単なことではありません。その道が、まだ誰も通ったことのないバキバキの獣道ならば、いつもなにかと血だらけになってしまうはずです。

 しかし、新しい道を積極的に開拓していくためには、「好奇心」のライトをいつもつけっ放しにしておかなければということを、そんな獣道を通りすぎてきたツワモノの先輩たちから教えてもらい、わたしもいつも心がけたいと思うようになりました。
 
 「好奇心」がありさえすれば、好きなことが見つけられます。「好奇心」が進むべき道を照らし出し、そのライトの先にある新しい世界を映し出してくれます。

 そこで見つけた「好き」の気持ちは、あなたが力いっぱい走るためのエンジンを動かすガソリンとなってくれるはずです。

 そんなこんなで、 「好き」 をエネルギーにして走るわたしという車には、 「好奇心」 というライトが備わりました。この骨組みがしっかりしていたからこそ、芯以外の部分を変え続けながらもずっとわたしのまま走ってこられたのだと感謝しています。

(vol.3へつづく)

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東レのポスター撮影。毛穴全快・なんでも吸収する気まんまんの、人生初撮影、しかも人生初海外です。スタイリストさんのおっぱいを盛る技術に感動したわたしは、1日だけ許されたオフの日に、シリコンの胸パッド(今のヌーブラみたいな)を求めて街中をさまよいました。
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 冬の北京。ちょうど卒論の時期でしたがそこは押し切って、向こうのエージェントにマネージメントをお任せして2ヵ月間出稼ぎ(!?)に行っていました。寒かったです。手足が壊死(えし)寸前。寒いついでにスキーにも行きました。
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 屋久島にて、穴が顔みたいに見えるかわいい葉っぱをパチリ。アメリカ行きの直前、なんか頭がごちゃごちゃになったので、ひとりでふらりと行ってきました。屋久島の素晴らしさは、travelのところでいずれ紹介できればと思います。

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by zhensui-maho | 2009-07-15 13:44 | 母校のみなさまへ
☆ 自分の「好き」にだいじにすること

 「これからは、本田さんのように自信を持って、自分の道を突き進んでいける子供たちを育てなければいけません。」

 あの日の最後のほうで、保護者の方がまとめとして述べてくださった言葉です。

 正直に言いますと、このときわたしはとっても意外でした。というのは、いままで自分に自信があると思ったことが一度もなかったからです。もっと正確に表現しますと、自信がある・ないということを意識したことがなかったからです。
 
 まず始めに、わたしの学生時代にさかのぼりながら、何を思いながらやってきたのか、はたして自信を持って突き進んできたのかどうかを、お話ししていきたいと思います。

 そもそも、高校生の頃なら、自分に自信があるときっぱり言えたかもしれません。

 あの頃は、恋人や友達や好きな先生がいる学校が好きでした。髪を茶色に脱色したり、授業をサボって「千と千尋の神隠し」を観にいったり、校則の隙をうかがってはそこからちょっとだけはみ出すことが楽しみでした。

 親や社会から守られているが故の全能感を、自分から溢れる自信と思い込み、とにかく精一杯満喫していた時期と言えるでしょう。

 モデル・芸能プロダクションからスカウトされるたびにもらった名刺は記念として集めていたものの、なんだかよくわからない新しい世界に飛び込もうという気はありませんでした。高校生の自分に十分に満足していたので、変わりたいとは思わなかったのです。

 その当時の自分が把握していた世界が、実はとても狭いものだったことを知ったのは、高校を卒業し、実際にこの仕事を始めてからでした。

 守られた世界の中で、あのままのわたしでいればよかったそれまでの状況とは、すべてががらりと変わりました。前に出る人という特定の役割を要求され、その成果を厳しく評価されるプロの世界に飛び込んだのです。
 
 あの頃は、仕事の責任に対するプレッシャーとの戦いと、入ったばかりの大学の授業との両立に必死でした。もともとそんなに体が強くないわたしは健康管理にも苦労しました。

 そして、いつも周囲の期待に応えることだけを考えていました。そのため、でき上がりがイマイチだと、「すべて自分のせいだ、申し訳ない」とすぐに落ち込む毎日でした。

 また、仕事が増えるにつれて貼り付けられる「きれいな・いい子な」というイメージ付の「本田真歩」(漢字だけ変えていました)と、それまでのありのままの真穂とにギャップを感じ、その仕事用の真歩が、なにか洪水のような激しい流れの中でますます手の届かないところへ押し流されていってしまうようで、恐怖を感じずにはいられませんでした。

 仕事で会う方はもちろん、マネージャーさんにも、TV や写真に写る私を見ている身近な人からさえも、よくも悪くも、特定の条件の部分だけを、いつも何かと・誰かと比べられていると感じる状況に疲れることもあったし、なにがあってもカメラの前やオーディション会場でニコニコ笑って「きれいな真歩」を演じてる真穂が、すごく浅いものに感じることさえもありました。

 そんな状態を乗り越えられたのは、一年ほど経ってからです。

 「一緒に仕事をしている人々を信頼し、わたしはわたしの役割だけに集中すればいい。」

 そう思えるようになってはじめて、ふっと肩の力が抜けたのです。

 わたしが関わる仕事とは、ひとつの目的のもとに、顔はメイクさん、洋服はスタイリストさん、写真はカメラマンさん、構成はデザイナーさん、それを統合するプロデューサーさん、というふうに、それぞれのプロが集められ、その人にしかできない役目をこなしてはじめて成立します。

 現場での私に与えられた役割とは、自分の表情や身体や感情を使って表現をし、被写体として前に出ること、ただそれだけ。

 つまり、出来が悪かったからといって、私一人で全部を背負い込むのは、一緒に仕事をしている彼らの実力を軽視することにあたります。写真や映像に写っているのは、わたしであってわたしではない、関わったすべての人の思いと技術が結晶した作品なのです。
 
 モデルをやらせてもらってるわたしがその時その時の現場を心から楽しんでいないと、それは写真や映像にそのままはっきりと表れてしまうことも学びました。最終的に写りこむわたしがこんなでは、私を選んでくれた方々にも、一緒に仕事をする方々にも、さらには私が採用されたことで、オーディションにて不採用となった他のモデルたちにも失礼です。

 プロの被写体としての責任感やプライドのようなものが芽生えたのがこのくらいのときです。わたしがはじめて持ったプロ意識と言っていいでしょう。

 そこからは、ありのままのわたしでいてはいけないことにムラムラ悩むことはなくなりました。仕事は仕事。むしろ、わたしにしかできない特定の役割が誰かに必要とされているんだという意識が、ますます前へ前へとわたしの背中を押してくれました。

 周りからの評価や、仕事ごとに変わる自分のイメージをおもしろがれるようになると、この仕事がますます好きになってきました。そうすると、どんどん楽しくなって、また仕事自体も増えていきました。

 わたしは自分のことを、「好き」という気持ちをガソリンにしてエンジンに注入しないと走れない車のようだと思うことがあります。逆にそのガソリンが順調に供給されてエンジンが回っているうちは何でもできると思っています。

 しかし、その「好き」の燃料が足りないと感じたらすぐにエンジンが止まってしまいます。再び走り出すには、新しいガソリンを注入しなくてはいけません。それが前と同じガソリンなのか、または新しいガソリンなのか、明らかになるには時間が必要です。

 わたしはとても臆病です。

 そのため、心の声には正直でいたいといつも思っています。どんなときでも自分の行動に納得し、自分のことを「好き」なままでいたいのです。

 自分についた嘘は、ヨロイのように感情を覆って麻痺させてしまいます。そのヨロイがどんどん分厚くなっていくと、気づかぬうちにあきらめることが癖なってしまいそうで怖いのです。

 自分ととことん向き合ってみえてきた選ぶべき道が、いままでの自分に大きな変化をもたらすものであったら、その「選択」はとても怖いものです。しかしそれ以上に、違和感が少しでもあるときに、納得しないまま、言い訳をつけたまま過ごして、自分が自分でなくなってしまうこと、自分を嫌いになってしまうことのほうがもっと怖いのです。

 もんもんと悩んでいたときのわたしは、その最終的な「選択」の責任を引き受ける覚悟がなかったため、自分と向き合うことを避け、本当に取り組まなければいけない課題をあえて見ない振りをしていただけでした。

 わたしはいま、人の前でなにかを表現する仕事が好きだとはっきり言えます。しかし、あこがれだけで始めた当時とは違い、決して華やかなだけの仕事ではないことも今ではよくわかります。

 名前や顔が人前に出る仕事は、ときにその特定のスキルだけでなく内面も含めたすべての条件を、シビアに、誰にでも明らかな形で、不特定多数の人から比較・評価されます。

 とくにモデルや俳優のように自分の容姿や才能で仕事をさせてもらうには、自分のその部分を商品としていっそう磨き、勝負していかなくてはいけません。それは、誰からでも客観的に、つまり商品として、自分のその部分を批判されるということです。

 しかもなにを美しいか、素晴らしいかと思うかは本当に人それぞれ。モデルだからと言って、わたしのことを美人と言う人もいれば醜いという人もいくらでもいます。俳優さんの演技の評価も人それぞれです。当の本人たちが、自分は美しい、自分には才能があるんだと信じて支えにすることはなかなか難しいと思います。

 この仕事は、そういう意味でとても不安定です。自分の中に確かな芯がなく、周りからの評価だけに気を取られていると、じりじりと自分で自分を追い詰めて簡単につぶれてしまうでしょう。周りには、キレイな人、才能がある人、自分より売れて輝いている人はいくらでもいるのです。

 しかし、もし芯がしっかりあるのなら、そんな風に輝いている人たちに囲まれている状況だからこそ、いいところやアドバイスを取り入れてよくなっていけるチャンスがたくさんあります。

 このように考えてみると、わたしの場合にはもともと「好き」の気持ち以外に信じられるものなどなにもなかったといえます。そしてその気持ちこそが、ずっといままでわたしの芯となってくれているのだと思います。

 多くの人が関わる仕事。その結果は他の人の目を通してみえてくるものです。当人のわたしには、ただその時その時の現場に全力を注ぐことしかできません。もしもそのときの結果が残念に終わったときに、あれがあのときの全力だったのだからと自分を納得させないと、その経験をふり返って前に進むためのチャレンジをみつけられないからです。

 こうしてがむしゃらに走ってきた日々の中では、積み上げてきた自分というものに固執していてはやっていけるはずもなく、むしろかつての「自信があったはずの自分」をひとつひとつ壊していかなければいけなかったとも言えます。

 こんなわたしが、「自信を持って自分の道を突き進む」なんてかっこいい言葉をいただけるなんて光栄です。

 自分ならではの道を突き進んでいる実感だけはありますが、その真っ暗な道のりの中で、いつも何が足りないか、どこを変えたいかを考えていた、言い方を変えればいつも自分に満足できていなかったわたしに「自信」なんてあるはずないと思っていました。

 「好き」の気持ち以外に確信がなかったので、わたしには自信を持てる自信なんて持てなかったのです。

 しかし、もしあのときおっしゃってくださったようにわたしにその「自信」があるとするならば、「自信」とは、いかに自分の「好き」を信じられるか、そしていかにその気持ちに正直に行動を起こせたか、ということで誰にでも結果的に培われるものなのかもしれません。

 「自信」は「自分を信じる」と書きますが、わたしが信じてきたその自分とは、過去から現在まで積み上げてきた自分なのではなく、「好き」の気持ちを信じて選んだ道の先でもっとステキになっているはずの、まだみえない未来の自分だったのでしょう。

(vol.2へつづく)

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テレビや写真には写らないところにはたくさんのスタッフの方たちがいます。地元の茨城で。

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 地球の裏側・ブラジルにて。撮影が終わった日の晩は眠れなかったので、みんなの似顔絵を描きました。みんな顔もキャラも濃かったので描きやすかったのだ。

b0186354_149856.jpg 現地スタッフのスタイリストさんと。ちなみにこの撮影でみんなに褒めてもらったのは、演技ではなく、「酒を飲まずに朝まで酔っ払いブラジル人と盛り上がれるテンションの高さ」でした。さらに、酔っ払いスタッフKに「オーディションのとき真歩はおれの第3希望だったのに、なんで決まっちゃったんだろうね。」とまで言われて散々。笑
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 撮影の直前はレンズの明るさや色合いなどを調節するため何度も試し撮りをします。カメラマンさんがその試し撮り写真たちをまとめてくださいました。

 爆笑してたりとか、変顔だったりとか、油断しまくりで半目とか、強風に吹かれまくりとか、もうフツーのわたしでした。いつも出来上がりの写真では自分のかわいい(はず)キメ笑顔しか見てなかったので気の抜け具合が新鮮でした。

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by zhensui-maho | 2009-07-14 14:21 | 母校のみなさまへ
母校のみなさまへ
                                              卒業生 本田真穂

☆ はじめに

 先日(2008年11月28日)は、貴重なお時間をいただき本当にありがとうございました。
 
 私ひとりだけで一時間以上もお話するのは初めてのことだったので、実はとっても緊張しましたが、みなさまが真剣に耳を傾けてくれたおかげで言葉が次から次へと出ていました。正直ちょっとびっくりです。終了時間が近づく頃には、みなさまに伝えたいことがまだあるのに伝えきれず、時間がもっと欲しい!と思ったくらいです。とても楽しく過ごしました。

 さらにそれだけでなく、このように多くの人の前に出て語れるようなメッセージが、自分のこれまでの10年間の中にあったのかもしれないと気づくことができました。

 せっかくこういう場をいただけたことへの感謝の気持ちとして、あの場ではうまく伝えきれなかったことも含めて、何かみなさまのヒントになりそうなことを文章に残したいと思い、こうしてお手紙を書きます。
 
 この10年で変わったことと言えば、人からの批判が前ほどは怖くなくなったこともひとつとして挙げられます。仕事で人前に出たおかげでいろんなところからいろんなことを言われてしまうからというのもその要因でしょうが、厳しい批判の中からも冷静にヒントの欠片を拾えるようになったことは大きな成長だと思います。

 それは、自分を完璧にみせたいと思う意識がなくなったせいかもしれません。そんなことできないと思い知ったのです。身の程を知ったので、こんなふうに誰にでも自分のことを話せるようになりました。もちろん、ひとりで心にしまっておくこともたくさんありますけどね。
 
 当日も、みなさんの前にそのまま自分をさらすことで、それぞれに独自の感想を持っていただけるといいなと思って引き受けさせていただきました。それは、こんな人にはなりたくない・させたくない、という類のものかもしれません。でも、それでいいと思いました。

 私もいろいろな人のよいと思う面・悪いと思う面からたくさんの教訓を得て成長してきたと思っていますし、これからもそうやって年を重ねていくのだと思っています。

 生徒のみなさんには、こんな奴も同じ学校にいたんだなぁと、ご自身の何かに生かしていただければたいへんうれしく思います。

 あのときの関係者の方々へはもちろん、この10年間を振り返って、いい影響をたくさん与えてくださった周りのみなさまへの心からの感謝の気持ちをこめて。

 また、あのときキラキラした目をしていた生徒さんたちへの心からの激励の気持ちをこめて。
 
 あれもこれも詰め込んだら、文章がたいへん長くなってしまいましたが、心を込めて書きましたので、最後までお付き合いくださればうれしいです。

(vol.1へつづく)

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中学時代からずーっと一緒にいる親友・みずきと広島旅行にて。カキがおいしかったよね!

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by zhensui-maho | 2009-07-14 13:53 | 母校のみなさまへ

4日連続企画

日付が変わりました。 

ちょっと方向を変えて、今日から4日連続のSpecialをお送りします。

 去年の11月に、卒業生として出身中学校に呼んでいただき、生徒さんと保護者の方々の前に立ってお話しする機会をいただきました。話す仕事はほとんどなかったし、あってもいつもMCさんがついてくれていたので、まったくのひとりで人前に立ち、自分のいただいた時間をトークで切り盛りした経験はありませんでした。大学のプレゼンくらいでしょうか。

 ドキドキの中、中学校のみなさまがくださった主なテーマは、

☆本田さんがどのような中学生だったか
☆今までで学んだどのようなことが、仕事での活躍に結びついたと思うか
☆今の中学生へ向けてのメッセージ

 僭越ながらお話させていただきました。

 その足で京都に向かったためあまり余韻には浸れませんでしたが、おかげさまで当日はとても楽しく終えられました。月が変わってすぐにアメリカに発ち、3ヵ月の語学留学を終えて帰ってみると、生徒さんからのお礼のお手紙がたくさん自宅に届いていたのを知り、とってもうれしかったです。

 ただ、帰国したときにはすでに、当日に3年生だったみなさんは卒業していましたし、直接のやり取りをしてくださっていた教頭先生も移動してしまった後でしたので、お会いしてお礼を言うことができませんでした。

 そこで、そのとき伝え切れなかったことを全部詰め込んで、文章という形に残したいと思いました。
 
 自分のことを多くの人の前で話すこと、さらにこうして文章にまとめることは、いままでを総まとめで振り返るとてもよい機会になりました。ちょうどアメリカに行く決意をはじめいろいろと変化のときだったので、より濃くそう思えたのかもしれません。

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11月最終週の京都は紅葉がとてもきれいでした。

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個人的にとってもウケたのは、まりりんがイチョウの黄色いじゅうたんの上にねっころがってアオリ撮影したこちら。

 天空の城ラピュタに出てくる巨大ロボットサイズのわたし。こんなに大きくありませんってば。笑


 校長先生には、すでにお手紙と文章をファイルの形でお送りしました。少しブログ用に読みやすく直しましたが、だーーーーいぶ長くなってしまったほぼそのままのものを、これから4日に分けてUPしようと思います。

 できかけのときに見てもらって真剣にアドバイスをくれたみんな、どうもありがとうございました。ちょぉぉおおう参考になりました。もう大好き!! しかしまぁ文章書くって難しいねぇ。作家さんたちって素晴らしい。
 
 ではでは、乱筆乱文にて失礼いたしますが、今日はわたしのちょっと特別な日ですので、よろしければお付き合いくださいね。
 
 あのときの関係者の方々へはもちろん、この10年間を振り返って、いい影響をたくさん与えてくださった周りのみなさまへの心からの感謝の気持ちをこめて。

 また、あのときキラキラした目をしていた生徒さんたちへの心からの激励の気持ちをこめて。

エッセイは、こちらのリンクからどうぞ。
母校のみなさまへ prologue
vol.1 自分の「好き」をだいじにすること
vol.2 「好奇心」をだいじにすること
vol.3 周りの人をだいじにすること
vol.4 生徒のみなさまへ
母校のみなさまへ epilogue
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by zhensui-maho | 2009-07-14 13:37 | 母校のみなさまへ